卑弥呼さんが「魏志倭人伝」に「いいね!」しました(6)より
第六弾 宮崎県串間弁
翻訳:のりちゃん
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植えちょっとは稲やカラムシで蚕も飼っちょっど。絹と綿を作っちょっちゃわ。そこん所は牛や馬、トラ、ヒョウ、ヒツジ、カササギはおらんげな。
(稲やカラムシを植え、桑の蚕の糸を紡ぎ、絹と綿を作り出す。その地には牛や馬、トラ、ヒョウ、ヒツジ、カササギはいない。)
兵は矛や盾や木ん弓を使っちょったよ。
木ん弓は下ん方がみじけくて上ん方がなげど。矢は竹ん矢か鉄鏃か骨鏃を使っちょうよ。
(兵は矛や盾、木の弓を用いる。
木弓は下が短く上が長い。竹の矢あるいは鉄鏃、あるいは骨鏃である。)
あるもんとないもん比べたら儋耳・朱崖(海南島)とおんなしやど。
倭はぬきーかい、冬も夏も生ん野菜を食べちょって、みんな裸足やったっちゃが。
(あるもの、ないものを比べると、儋耳・朱崖(海南島)と同じである。
倭の地は温暖で、冬も夏も生野菜を食べて、みなはだしで歩く。)
住んじょる所は屋根がついちょってみんな別々の部屋で寝っちゃど。
朱や丹で身体を塗っちょっとがおげん国と一緒やが。
ものを食ぶっときは高坏をつこて手で食ぶっちゃが。
(屋根のついた建物を持ち、父母兄弟は寝室を別にしている。
朱や丹といった顔料でその身体を塗っていて、まるで中国でおしろいを用いるのと同じだ。
飲食には高坏を使い、手で食べる。)
け死んだ時は、がんおけはあっちゃけど囲いはねぇかい、土を被すっとよ。
け死んだ後も10数日はじだんいけんでほっちょくっちゃけど、そん時は肉は食べんじ、喪主はてげでけー声で泣いておらぶっちゃが。
他ん人は、飲んかたよ。
がんおけをいけたら家んもん全員で身体を洗うとが、おげん国ん練沐と似ちょっちゃが。
(死にあたっては、棺はあるが棺の囲いはなく、土で覆った冢(墓)を作る。
死後はじめの10数日は、もがりの期間があり、その時は肉を食べず、喪主は大声で泣き叫ぶ。
他の人は、歌って踊って酒を飲む。
葬ったら、家を挙げて水中で身を洗い清め、中国における練沐のようである。)
つづく
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高校時代は弓道、大学時代は合気道を嗜み、鋼の筋肉コーティングなのりちゃん。
謙遜の権化のようになんでも遠慮する、奈良女で出会った中でもなかなかの個性派です。
そしてこの翻訳企画の中でも、かなり個性の強烈な言語で仕上がりました!あっぱれ!
全然分からなかったので、今回は標準語訳を付けました。
存分に串間の言葉に浸ってくださいませ。
(2018年1月27日)