himicoworker’s diary

Facebookにて投稿していました「お散歩で紐解く邪馬台国」をこちらで公開いたします。

卑弥呼さんが「魏志倭人伝」に「いいね!」しました(2)より

「瀚海(かんかい)って海ば南に1000里ばっかし渡ったら、一大国に着くとけどね、そこで一番偉か役人は卑狗っていうて、サブは卑奴母離ていうとげな。広さは300里四方くらいやろうかね。

竹林とか森林の多かとけど、そこに3000くらい家のあっとさ。田地もちょっとあるとけど、そいば耕すだけやと食べていかれんけん、南北に売買に行かんばたいね。

また1000里ばかし海ば渡ったら、末盧国に着くとけど、家は4000戸くらいあって、山とか海に沿って建っとるとさね。草木の生い茂っとってから、前ば歩きよる人の見えんごとさ。水の深かとこでん、浅かとこでん、みんな潜ってから魚とか貝ば、よう獲るとよ。

東南に500里陸上移動したら、伊都国に着くとさね。そこで一番偉か役人は爾支ていうて、サブは泄謨觚と柄渠觚っていうとげな。家は1000戸くらいはあるごたるね。

今おらす王はみんな女王国に属しとって、統制されとると。帯方郡の使者の通るときは、ここば中継せんばとよ。」

つづく

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第二弾 長崎弁
翻訳:比歴の心の友

長崎の家に泊めてもらった朝、薄く開けた洗面所の窓から「ボー」と船の音がしました。入江に山が近いので街中に響くようです。旅の期待や不安、帰ってきた安堵とか、冒険の終わった寂しさとか、色んなものを包み込む音だなあと思ったものです。そんな風情を思い出させる長崎弁、素敵です!

(2017年10月25日)

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卑弥呼さんが「魏志倭人伝」に「いいね!」しました(1)より

 

出張から帰ってくるなり、居間にも立ち寄らず直ぐにお風呂に入ってしまった。

玄関には潮風に当たって色あせたバッグと、お土産らしき袋が無造作に置かれたままである。

髪をだいたい乾かしたあたりで、もう我慢ならんとばかり、冷蔵庫で冷やしてあったビールをあけて、ぐいっと一杯。

彼女はこの度の長旅について語りはじめた。

 

倭人っちゅうと帯方郡の東南の大海のあたりにいてはるやろ。

山だらけの島に国やら村やらを作ってはんねん。昔は100くらいの国があったらしいわ。

漢の時代には公式に訪問しはった人もおったらしいで。今は通訳通じるところが30ヶ国あんのかな。

郡から倭に行くんやったら、海岸に沿うて海を移動して、こうびゅーーっと韓国通るやろ。

ほんで南とか東とかにばーーーっと行くと、その北岸らへんの狗邪韓国に、7,000里くらいで着くわ。

ほんで海いっこ渡って1,000里くらいびゃっと行ったら、対海国やな。

そこのいっちゃん偉い役人さんは卑狗ってゆうて、二番目の役人さんが卑奴母離ってゆうねんて。

いてはるところは離れ島で、400里四方くらいどーんと広いんやて。

土地は山がめっちゃ険しいのと深い林がめっちゃ多いんやって。

道路は小動物とかシカとかが通る感じの小道になっとんねん。

ええ田畑はあんましなくて、海のもん食べて自活してはんねんな。

船乗って南北に売ったり買ったりしに行きはるわ。」

 

つづく

 

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第一弾 摂津弁

翻訳:まっさん

 

早いもので邪馬台国シリーズからひと月も経っていました。

最後に私がやりたかったこと、それは三国志の魏書の烏丸鮮卑東夷伝倭人の条、いわゆる「魏志倭人伝」の現代語訳です。

なるべく古代史に詳しくない人にも分かりやすく、面白く、身近に感じてほしいという想いで、各地の言葉、方言での翻訳をすることにしました。

2000文字の漢文ですので、14回くらいのシリーズになる見込みです。

 

まず第一弾は古代ゼミのみなさん推薦、生粋の大阪人まっさんに翻訳して頂きました。

感謝!拍手!勢いがあって素敵です!

(2017年10月6日)

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