卑弥呼さんが「魏志倭人伝」に「いいね!」しました(3)より
「東南にある奴国まで行くんは、100里かかるわ。いっちゃんエライ役人は兕馬觚(しまこ)ゆうて、次にエライんは卑奴母離(ひのもり)ってゆうヤツや。
そこは2万戸くらいあんねん。
東に進んで、不弥国まで行くゆうたら、100里はかかるで。
そこのお偉いさんは多模(たも)ゆうて、次は卑奴母離…さっきとおんなじ名前やけど、ちゃう人やで。
国の大きさは1000家くらいかな。
そんで南に20日間、船で行くと、投馬国(とうまこく)に着くんや。
投馬国の一番の役人は弥弥(みみ)ゆう人で、二番手は弥弥那利(みみなり)っちゅー名前や。
50000戸くらいはあるんちゃうか?
そっから南にあるんが、邪馬壱国…いわゆる邪馬台国や。
そこは女王様が治めとる都でな、船で行くには10日間、歩いて行くんやったら一月はかかるわ。
…え?馬を使うたら、どれくらいやって? さぁ…どんくらいやろな。馬で一月やったかな? まぁ細かい事は気にせんといてや。
そこの一番エライ役人に伊支馬(いしま)っちゅーやつがおって、その次が弥馬升(みましょう)、次が弥馬獲支(みまかくし)、次が奴佳鞮(のかてい)や。
70000戸くらいあるゆうから、えらい規模やで。
その女王様の国から北がなぁ…、戸数やら道のりは、だいたい記録することができたんやけど、その他の周りの国は遠くて行けへんくて、詳しく説明できへんねや。」
つづく
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第三弾 自称エセ関西弁(大阪寄りの京都府産)
翻訳:いーくー女史
大学に入ってすぐの頃、北海道出身のいーくー母に梅雨の乗り切り方とゴキの対処法を習いました。
おかげさまで家ではゴキはお目にかからず4年間を過ごしましたが、新幹線開通でより速く、新鮮な、ゴキが道内に上陸してしまう時代。いつかあの日の知恵が札幌で役立つかも知れません。
さて、「投馬国から南下したら邪馬台国があるんだから、女王国から北上したら投馬国に戻るんじゃないの」と女史からの翻訳には鋭い質問が添えられていました。
邪馬台国(邪馬壱国)=女王国とは必ずしも言えないのではないかという説があり、投馬国や邪馬台国やその他国々をまとめて女王が統べる連合国というあり方を考えるものもあります。
…そう簡単には説明できへんねや。
(2017年11月12日)